リオ五輪 ~アスリート紹介 2~

いつもホームページをご覧いただき、ありがとうございます!

明け方、驚くようなニュースが飛び込んできました。

レスリング日本女子、『3階級で3つの金メダル』を獲得!!

素晴らしいです!

それでは現在までのメダル獲得数を確認してみましょう。

1 位 米国 金30 銀32 銅31 計 93

2 位 英国 金19 銀19 銅12 計 50

3 位 中国 金19 銀15 銅20 計 54

4 位 ロシア 金12 銀14 銅15 計 41

5 位 ドイツ 金12 銀 8 銅 9 計 29

6 位 日本 金10 銀 5 銅18 計 33

7 位 フランス 金 8 銀11 銅12 計 31

8 位 イタリア 金 8 銀 9 銅 6 計 23

9 位 オランダ 金 8 銀 4 銅 3 計 15

10 位 豪州 金 7 銀 8 銅 9 計 24

㊟上記は、現地時間8月18日、午前2時の時点でのデータになります。

《日本人メダリスト》 ※現地時間8/18午前2時現在

金メダル 8/17(水) 伊調馨 選手

【レスリング】フリースタイル女子58kg級

金メダル 8/17(水) 登坂絵莉 選手

【レスリング】フリースタイル女子48kg級

金メダル 8/17(水) 土性沙羅 選手

【レスリング】フリースタイル女子69kg級

銀メダル 8/17(水) 丹羽孝希 選手 水谷隼 選手 吉村真晴 選手

【卓球】男子団体

※なお、これ以前に獲得しました日本のメダリストとその記録につきましては、先の記事をご参照ください。

さて今回は、既に終了しました柔道、男子90kg級の話になります。

男子90kg級といえば・・・日本人の金メダルリスト、ベイカー茉秋 選手ですね!

おめでとうございます!!

さて、その90kg級。

背中に「ROT」と書かれた柔道着の、ある一人のアスリートが出場していました。

ROTとは・・・?

4つ前の記事、

リオ五輪開会式 ~五輪の素晴らしさ~

を振り返ってみましょう。

「オリンピック難民チーム」です。

ROTは、Refugee Olympic Teamの略です。

このたびの五輪大会には、ROTの他に、IOAという「オリンピック独立参加選手団」で出場しているアスリートもいます。

今回は、ROTのアスリートの紹介です。

柔道男子90㎏級の2回戦。

試合では、当然のことながら皆、闘志をむき出しに競技をする中で、

ROTのその選手は、冷静に試合を運んでいました。

途中、相手が指導を受けたことで、このまま時間が進めば勝ちが近づきつつある時、

相手に寝技に持ち込まれ、関節技をかけられました。

腕の関節を締めあげられ、かなり苦しい状況に追い込まれます。

しかし、相手のからだを叩いて降参の意を示すことはなく、表情も変えず、耐えました。

実況:「なかなか降参しませんね」

解説:「痛いと思いますけどね」

そのまま膠着した時間が続く中、審判から「待て」の合図がかかります。

その後、(痛がる素振りも見せず立ち上がり)試合が再開すると、

前に出て技をしかけて、有効をひとつ獲ることに成功。

見事勝利を収め、3回戦へと進みます。

次の試合は惜しくも敗れてしまいますが、堂々のベスト16!

そのアスリートの名前は、ポポレ・ミセンガ選手。

コンゴ(旧ザイール)出身ですが、現在ブラジルで暮らし、リオデジャネイロにあるNGOの施設でトレーニングを続けているそうです。

このNGOのトレーニング施設は、ブラジル人柔道選手で五輪銅メダリストのフラビオ・カント氏が立ち上げた施設です。

ミセンガ選手は、1998~2003年のコンゴの内戦を若くして経験し、

恐怖と飢餓、絶望によって「無情」になっていました。

これまで五輪チームを何度も指導してきたベテランのブラジル人コーチ、

ジェラルド・ベルナルデス氏は、

トレーニングを始めた当初のミセンガ選手を次のように振り返っています。

「彼はとても残忍だった・・・」

ミセンガ選手のお母さんは既に死去しており、お父さんの行方は分かりません。

兄弟3人とは離れ離れになりました。

「幼い頃に、一人で必死で森に逃げた」

そのことだけは覚えているといいます。

故郷のコンゴ東部のブカブから逃げ、難民キャンプにいた時に柔道を習ったそうです。

その後、ミセンガ選手の柔道はみるみる上達し、コンゴの国内チャンピオンにもなりました。

しかし、当時のトレーニングについては、正しいものではなかったそうです。

「どんなことをしてでも勝てと教え込まれる。

 勝てないと数日間にわたり隔離され、食事も半分しか与えられない」・・・

このような中、2013年、ミセンガ選手はリオで開催された世界柔道選手権に出場するために

ブラジルを訪れます。

ポルトガル語はまったく話せず、所持金もない中、別の選手と一緒にチームから逃げ出し、

リオのスラム街に住んでいたアフリカ人たちの家に身を寄せることになりました。

リオのスラム街、“ファヴェーラ”とは、どのようなところでしょうか?

▲ファヴェーラの建物は非常に建て込んでおり一軒一軒も狭く、

 地形に合わせた階段や通路が家々の間を通っている。そのため自動車は通行できないことが多い。

▲コンクリートやレンガで造られた家から廃材で作られた家まで様々であるが、

 いずれも無断で建てられている。

▲おおむね衛生状態は悪く、下水処理や病気に悩んでいる。

▲ファヴェーラによっては家々に電気が通り夜には明かりがきらめくが、

 これは付近の電線から勝手に電線を引いた盗電である。

▲都市周囲の山の斜面に建てられたファヴェーラも多く、

 大雨の後に地滑りが起こり大勢の犠牲者が出ることも相次いでいる。

そしてファヴェーラの人々は、都心などで低賃金の仕事に就くことが多いため、失業やドラッグ、ギャング同士の抗争といった深刻な『社会問題』になっています。

これらファヴェーラの実情に関しましては、五輪前から報道されて広く知られるようになりました。

華やかな五輪会場のすぐ近くに、正に深刻な問題が顔を覗かせているのです。

ミセンガ選手の話に戻ります・・・

ファヴェーラでは、確かに犯罪率は高いのですが、母国とは違い戦争は起きてはいません。

反対に住民同士のつながりは強く、移り住んできたミセンガ選手のことも歓迎しています。

リオ五輪に出場する難民チームの候補選手に選ばれたミセンガ選手には給付金が出たため、

これまで働いていた建設現場での仕事を辞め、食事も健康的になったそうです。

ポルトガル語のレッスンも受けられるようになり、

選手引退後はフォークリフトの操縦者になる目標を掲げています。

ミセンガ選手は、現在ファヴェーラにある、窓のない寝室一部屋のアパートで、

家族6人で暮らしているそうです。

1年前にはトレーニング施設でのけんかも絶えませんでしたが、

今はとても穏やかになったといいます。

五輪前に、ミセンガ選手は次のように話しました。

「私は夢を追い続けるために、そしてすべての難民の悲しみを取り除き、希望を与えるために、

  難民選手団の一員になりたいのです。

  私は難民でも大きなことができる、ということを見せたいです。

  メダルを勝ち取り、そのメダルをすべての難民にささげたいと思います」

彼のこの目標は叶いませんでしたが、このリオ五輪大会での闘いぶりは、世界中に大きな勇気と希望を与えてくれるものでした。

最後にミセンガ選手の言葉です・・・

「親がいなくて、教育を受ける機会がなくても柔道がその代わりになってくれた。

柔道から人を敬う気持ちや集中することを学んだ」

スポーツから学ぶこと・・・やはり計り知れません。

#リオデジャネイロ五輪

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