リオ五輪 ~アスリート紹介 4~

August 22, 2016

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本日、熱い17日間を終え、リオデジャネイロオリンピックが閉会しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日本はこのたびのリオ五輪で、多くのメダルを獲得しました。

総メダル獲得数は、『41個』!

過去最高数・・・素晴らしい結果です!!

 

それではメダル獲得数を確認してみましょう。

  1 位 米国       金46 銀37 銅38 計121

  2 位 英国       金27 銀23 銅17 計 67

  3 位 中国       金26 銀18 銅26 計 70

  4 位 ロシア    金19 銀18 銅19 計 56

  5 位 ドイツ    金17 銀10 銅15 計 42

  6 位 日本       金12 銀 8  銅21 計 41

  7 位 フランス 金10 銀18 銅14 計 42

  8 位 韓国   金 9  銀 3  銅 9  計 21

  9 位 イタリア 金 8  銀12 銅 8  計 28

10 位 豪州     金 8  銀11 銅10 計 29

 

 

この17日間にもおよぶ熱戦の中・・・

岐阜県に相当する面積(10,908平方キロメートル)の小さな国にも

ゴールドメダリストが誕生しました。

現地時間の8月7日、柔道女子52キロ級の試合が行われました。

この階級に出場した日本の中村美里 選手は、見事銅メダルに輝きました。

(*もう一人の銅メダリストはロシアのナタリア・クジュティナ 選手です)

そして52キロ級決勝戦は、

コソボのマイリンダ・ケルメンディ 選手とイタリアのオデッテ・ジュフリーダ 選手の

対戦でした。

“闘志を前面に出した戦い”で頂点に立ったのは、マイリンダ・ケルメンディ 選手でした。

これは、コソボに史上初めての金メダルをもたらした、歴史的瞬間でもありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このたびの主人公は、中村選手を準決勝で退けた相手、コソボのケルメンディ選手です。

8月5日の五輪開会式。

ケルメンディ選手は、“コソボの代表選手”として行進する夢がかないました。

しかも旗手として、選手団の先頭を切って歩きました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コソボは、旧ユーゴスラビア最後の独立国です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ケルメンディ選手は、人口約10万人のコソボ西部の町のペヤで生まれました。

1990年代のコソボ紛争後の混乱で、両親の職もままならない中、8歳の時に柔道を始めました。

その後、どんどん力をつけていき、ヨーロッパのジュニア大会で上位の常連になり、

ついには2009年に18歳で世界ジュニアで優勝。

2012年のロンドン五輪の年の4月、国際柔道連盟(IJT)はコソボの加盟を認めましたが、

「IOCが難色」を示したため、ケルメンディ選手は市民権を持っていたアルバニア代表として

前回の五輪(ロンドン大会)に出場。

 

実は、柔道選手として世界の頂点を狙えるほど有望な彼女の元には、

金メダルが欲しい国から、“給与付きの国籍変更のオファー”がいくつも届いたそうです。

家計は、相変わらず苦しい状況でした。

それでも「本当の幸せはお金じゃない」・・・。

その信念は変わりませんでした。

コソボの道場で育ち、

コソボのコーチに鍛えられて強くなったケルメンディ選手は、

『祖国の代表』にこだわりました。

 

期待された前回のロンドン五輪では、2回戦敗退に終わってしまいました。

「当時は21歳の女の子だった。色々なことを考え、大舞台にプレッシャーを感じてしまった」

とケルメンディ選手は、当時のことを振り返ります。

それからは、五輪で結果を残せなかったことで、自身の意識を変えたそうです。

お酒は飲まず、休息は次の練習のために使いました。

「柔道の試合はわずか4分で、1秒たりとも気が抜けない。柔道だけを考え、ベストを尽くす」

世界選手権を2度制し、ついに世界ランキングも1位にのぼりつめました。

 

そして2年後にリオ五輪を控えた2014年、ついにIOCもコソボを承認。

「コソボの“国”としての五輪出場が認められた」初めての大会が、

今回のリオデジャネイロオリンピックでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ただ、2015年8月までのところで、コソボは、

アメリカ合衆国、イギリス、ドイツ、フランス、日本など111ヶ国から承認を受けていますが、

一方で、セルビア、ロシア、中国、スペイン、ブラジル、アルゼンチン、インド、南アフリカなど

国連加盟国の半数近くに上る世界85ヶ国は承認を拒否しているそうです。

そのため、将来的に国際社会から一致した承認を得られるかどうかは、未だ不透明な状況なのです。

 

話は少し逸れますが、旧ユーゴスラビアの民族紛争によって影響を受けたケースとして、

サッカーファンの記憶に最も残っていますのが、“幻の王者”ユーゴスラビア代表です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

舞台は、五輪ではなく、サッカーの欧州選手権大会。

サッカー欧州選手権のEURO92本大会の出場権を剥奪された「旧ユーゴスラビア代表」。

ユーゴスラビア代表として、出場が決定していたEURO92の直前に起こったクロアチアの

ユーゴスラビアからの分離独立運動による内戦の影響で、国連が制裁措置を取り、

ユーゴスラビア代表はEUROへの出場権を剥奪されることとなってしまいます。

神様のいたずらなのか、この大会に(ユーゴの代わりに)代替出場したデンマークが優勝・・・。

 

アスリートたちが、自身の力では何ともならない状況が、まだまだこの現実社会には存在します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、そのような苦しい環境の中でも力強く、道を切り開くアスリートがいます。

 

運命は勇者に微笑む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

逃げずに、前を向いて進むことの大切さを、

このたびの五輪の中で世界のアスリートは教えてくれました。

 

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