リオパラリンピック -アスリート紹介- “佐藤友祈 選手”

September 17, 2016

いつもホームページをご覧いただき、ありがとうございます!

 

 

さて、早いもので終わりを迎えようとしていますリオパラリンピック。

今大会に出場しましたアスリートの中にも、

パラリンピックを観て、それがきっかけで人生を変えた選手は多いようです。

 

パラ陸上車いす部門で2つのメダルを獲得しました、

佐藤友祈 選手(WORLD-AC)もその一人です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「競技用車いすに乗るだけで、こんなに速く走れるんだ」

 

という純粋な気持ちから、知人を通じて一流競技者を紹介してもらい、

トレーニングを始めました。

 

車いす部門は、障害の程度でクラスが51から54まで分かれており、

佐藤選手の52は、重い方になります。

脇腹の肋骨あたりから下は感覚がなく、左腕全体がまひして握力は2~3キロ。

右も握力は12~13キロほど。

 

その状態で車いすをこぎ、時速30キロ近いスピードを出します。

車輪を回す際、時計の12時方向からキャッチし、3時方向あたりでリリース。

多くの選手はリリースで大きく腕を後ろに振り上げるところ、

佐藤選手はコンパクトで、無駄な動きが非常に少ないそうです。

 

昨年2015年10月、ドーハの障害者世界陸上で佐藤選手は、

400mで金メダル、1500mでは銅メダルと2つのメダルを獲得しました。

この大会まで、佐藤選手はまったくの無名の選手でしたので、正に快挙といえます。

 

ただ・・・この世界選手権の400メートルは、ロンドン大会4冠の絶対王者、

レイモンド・マーティン選手(米国)が欠場した中での戴冠でした。

このリオパラリンピックは、この両雄の対決が注目の的でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【生い立ち①】

佐藤選手は、幼い時のときにレスリングを習っていました。

そこであるエピソードが残されています。

小学2年生の時、ある日の休み時間に担任の先生と相撲を取ったそうです。

・・・先生は(子ども時代の)佐藤選手と腰の辺りで、がっちり組み合いました。

先生は力を込めて彼を持ち上げようとしたり、左右に動かそうとしたりしましたが、

「ぴくりとも動かすことができなかった」

そうです。

 

大人が全力を出しても、小学2年生を倒すどころか動かすことすらできなかった・・・

佐藤選手の驚くべきエピソードのひとつです。

 

【生い立ち②】

21才の時に脊髄炎にかかり、両足が動かなくなり左手にも麻痺が残りました。

脊髄炎とは、文字通り脊髄が炎症を起こす病気で、

ウイルスや細菌によるもの、膠原病によるもの、多発性硬化症など自己免疫性のもの、

特発性(原因不明)のものなど、さまざまな要因があるそうです。

しかし、いずれにせよ、脊髄には多くの神経が集中しているため、

ほんのわずかな炎症でも、重大な後遺症を残してしまう可能性が非常に高い病気です。

 

「何か悪いことでもしたというのか・・・」

やるせない思いが込み上げ、障害を受け入れられず、

人生を悲観して、自宅に引きこもっていたそうです。

テレビやインターネットを見るだけの毎日で、体重は1年余りで25キロも増えたそうです。

 

【転機】

そのような時、テレビで見たのがロンドンパラリンピックの映像でした。

競技用車いすがトラックを高速で駆け抜けるレースをテレビで見て、くぎ付けになりました。

「乗ってみたい・・・」

知人に競技用車いすを借り、近くの河川敷でトレーニングを始めました。

感じたことのない、走る楽しさに、目の前が明るくなったような気がしたそうです。

そこから生活を一転。

当初は、1年もの間の引きこもりで増えた体重を落とすことからだったそうです。

今ではメダリストとなった佐藤選手ですが、アスリートには程遠い状態からのスタートでした。

 

【成長】

“0”からのスタートでしたが、その才能を開花させたのは、

ご自身もパラリンピック出場経験のある、

車いす陸上の松永仁志(WORLD-AC)選手兼コーチです。

充実した練習環境を求めて、岡山県に引っ越し。

リオデジャネイロで3大会連続出場となる車いすアスリート、松永選手兼コーチに師事し、

無駄の少ないフォームと、レース中盤からの加速に磨きをかけました。

人材派遣会社で働きながら、1か月で400キロ近くを走り込みを行い、

記録はぐんぐんと伸び、世界に近づいていきました。

松永選手兼コーチは、類い希な佐藤選手の集中力と驚異的な持続力を徹底的に鍛えあげました。

 

【リオパラリンピック】

13日午前(*日本時間13日夜)の陸上男子400メートル(車いす)で銀メダルを獲得。

急成長で夢の舞台に駆け上がった期待の星は「自分の走りで、ベストを尽くす」と意気込み、

この日、レースに挑みました。

決勝では、スタートでライバルのレイモンド・マーティン選手に少し遅れをとりましたが、

終盤、持ち前の力強い加速で追い上げて、あと一歩のところまで迫りました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

15日午前(*日本時間15日夜)の陸上男子1500メートル(車いす)でも

400メートルに続く2つ目の銀メダルを獲得。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

決勝レースを終えた佐藤選手は、

「胸の鼓動が高鳴る状態を体で感じることができて、感動した。

 4年前には、こんな自分は想像できなかった。

 最高の舞台で走れて、すごくうれしい」

と喜びをかみしめました。

 

【東京パラリンピックに向けて】

佐藤選手の優勝を阻んだ選手・・・それは米国のレイモンド・マーティン選手でした。

関節の動きが制限される難病で、5歳から車いすレースに親しんできました。

16歳から本格的に競技に取り組み

「トラックにいるときは自分が障害者である気がしない」

と話します。

2012年ロンドン大会で鮮烈なデビューを飾りました。

100メートル、200メートル、400メートル、800メートルの4冠。

13年と15年の世界選手権でも出場した全種目で優勝と、敵なしの強さを誇ります。

 

ところが今大会は10日の100メートルで2位とつまずきました。

「400メートルに向けて火が付いた」

と闘志を燃やし、狙い通り優勝。

1500メートルは

「彼(佐藤)が迫ってくるのは分かっていた。

 しかし、ラスト200メートルでいい感じでスパートをかけられた」

と力の差を見せました。

 

4年後の東京大会に向けて・・・

「地元の佐藤は間違いなく成長する。いい勝負ができるだろう」

と力強く語りました。

 

さらに鍛えられた2人が、

東京で素晴らしいパフォーマンスが発揮されることを、期待が持たれます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

話は少し逸れます・・・。

チューリッヒ大学のヴェロニカ・ジョブ氏とスタンフォード大学の同志が、

60人の学生相手に

意思力というのは・・・

『がんばっても結局はなくなってしまう限界のあるものなのか?』

 それとも

『がんばれば伸ばすことができる無限の可能性があるものか?』

という質問をしました。

 

そして次に学生に、精神的に辛くなるような作業を2つ立て続けに実施しました。

その作業とは?

最初は、不揃いのものを編集する作業。

次は、言葉の意味を無視しながら実際の色の名前を言うというものでした。

(*例えば「緑」という文字が赤色で書いてあるなど)

 

結果は・・・

 ●意思の力には限界があると思っている学生は、

    間違いを誘うような面倒な編集作業の後は疲れ果ててしまい、

    色の名前を答える作業をする時にはパフォーマンスが落ちて、

   『結果が良くなかった』そうです。

 一方で、

◎「意思の力には限界がない」と思っている学生の結果は違いました。

    編集作業がどんなに面倒だろうが関係なく、

    色の名前を答える作業も同じように良い結果を出しました。

 

つまり、意思の力について信じていることが、そのまま結果に表れたということです。

 

 

このたび取り上げましたパラリンピック陸上競技の佐藤選手。

 

急速に成長した背景に・・・

これまで「自分にはできる」という思いを強く持ち、

そのことを疑わなかったそうです。

 

 

 

「根拠のない自信が自分を支えた」 ~佐藤友祈~

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