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リオパラリンピック -競技紹介- “車いすラグビー”

いつもホームページをご覧いただき、ありがとうございます!

リオパラリンピック最終盤で、素晴らしいニュースが飛び込んできました。

最終日の9月18日、車いすラグビー日本代表チームが3位決定戦で勝利!

ウィルチェアーラグビー(*車いすラグビー)は、アメリカやヨーロッパの一部の国では、

四肢に障害を持つ者が行う競技であることから“クワドラグビー”とも呼ばれており、

また、当初はその競技の激しさから、なんと“マーダーボール(殺人球技)”と

呼ばれていた歴史をも持っています。

1966年のアトランタパラリンピックでは、デモンストレーション競技として初登場し、

2000年のシドニーパラリンピックからは正式種目になりました。

日本では1996年11月に正式に競技が紹介され、1997年4月に連盟が設立され、

現在、競技の国内普及と、パラリンピックや世界選手権等の国際大会でのメダル獲得を目標に

活動を行っています。

そして、このたびその成果が実り、リオパラリンピックで3位決定戦で、

車いすラグビー発祥のカナダに勝利し、見事、銅メダルを獲得しました!!

ところで・・・当たり前ではありますが、車いすでプレーする競技のプレーヤーは、

バスケットボールも、“腕(手)”で『車椅子を動かし』、“腕(手)”で、

ボール『捕る』、『投げる』といったプレーを行います。

つまり、 オフェンス(*攻撃)の時は、大柄な相手に対して腕でボールを『キープ』し、

『ドリブル』を行い、『パス』も出します。

ディフェンス(*守備)の時は、『相手の懐』、

また、『ボール』に対して、自らの腕を伸ばしてボールを奪います。

そのボールは、飛ぶ、弾むなど、難しい動きをします。

また、車いすには、首までサポートするような背もたれはありません。

とても過酷なゲームであることは間違いありません。

まだまだ一般的によく知られていない、車いすラグビーを詳しく調べてみました。

【車いす】

激しくぶつかり合う競技用車いすは、装甲車のような見た目をしていますが、

機敏な動きを可能にするため、タイヤは八の字型に取り付けられています。

タイヤには、タックルからの保護やひっかかる部分を減らす目的で、

スポークカバーを装着しています。

競技用車いすの形状は、次の攻撃型と守備型の2つに分かれます。

《攻撃型》

①主に障害の程度が軽い(☚持ち点が大きい)選手が使用

②相手の守備に引っかからないよう凹凸がない

③小回りが利くようコンパクトで丸みを帯びた形状

《守備型》

①主に障害の程度が重い(☚持ち点が小さい)選手が使用

②相手の動きをブロックするためバンバーが飛び出ている

③攻撃時に「壁」となりやすい

◎さらに、攻撃型、守備型ともに、「転倒防止用の車輪」が車いすの後ろ側についています。

【グローブ】

グリップ面がゴム製でザラザラしているため、ボールが滑りにくくなります。

また頸髄損傷など障害のために、手の握力がない選手にとっても、

このグローブは、ボール保持や車いすに駆動力を伝えることに役立ちます。

【ボール】

車いすラグビー専用球で、バレーボール5号球を基に開発されました。

また、脚が欠損の選手は、膝の上でボールを保持することができないため、

“専用のボール置き”を車いすに装着しています。

【試合時間】

1試合では8分間のピリオドを4回行い、ピリオド間にはインターバルが入ります。

第4ピリオド終了時点で同点の場合は、3分間の延長戦を戦って勝敗を決めます。

【チーム編成】

男女混合の競技で1チームは最大12名で編成され、コート上には4名が出場します。

コート上4名の合計点が『8点以内となるようにチームを編成』しなければいけない

「ポイント制度」があります。

選手の交代には、回数制限はありません。

※4名の中に女子選手が含まれる場合は、0.5 点の追加ポイントが許可され、

 チームの合計は8点を超えることが許されます。

 👇3位決定戦の相手チーム、カナダには女性競技者が出場していました!

【クラス分け】

車いすラグビーの競技者には障害の程度によりそれぞれ持ち点が付けられます。

障害の重い方0.5点から軽い方3.5点まで0.5点刻みの7段階に分けられます。

上肢、体幹それぞれの点数を合計し、

1チーム4人の持ち点の合計が、8点以下で構成されなければなりません。

クラシフィケーション(*クラス分け)は、

筋力テスト・体幹機能テスト・動作の機能テスト・競技観察を実施し、決定されます。

女性競技者が加わる場合、女性競技者1名につき持ち点の合計から0.5点マイナスされます。

【チームを支えるスタッフ】

チームの選手たちが、100%のパフォーマンスが発揮できるように支える人たちの存在があります。

《メカニック》

車いす同士のぶつかり合いや、細かく素早いチェアワークによって、車いすに負担がかかり、

タイヤがパンクしてしまうことがあります。

そのような時、ベンチから駆け出して、タイヤ交換を行うのがメカニックなどのスタッフ。

タイヤ交換などのコート上のメンテナンスは1分以内と決められていて、

その場でパンクを修理する時間はありません。

タイヤの交換を終えるとベンチに戻って早速、パンクを修理します。

予備のタイヤは通常2本ずつ用意されていますが、

パンクなどが原因で選手の出場機会が奪われないよう、準備を怠ることはありません。

また、車いすで転倒し床に倒れた際も、スタッフがコートに入り選手を起こします。

《トレーナー》

タイムアウト中やピリオド間など、競技者がベンチに下がった際、体力の回復に努めます。

疲れた競技者にアイシングやマッサージを施すのがトレーナーです。

この競技に出場する選手の多くは頸髄損傷で、個人差はありますが、

“体温調節が難しい障害特性”があるため、「霧吹きで水をかけたり」、

大きな血管が通る首の後ろを「アイシング」し、体を冷やします。

さらに車いすを目いっぱいこいで疲れた腕などをケアし、

万全の状態でコートに送り出すサポートを行います。

《その他のスタッフ》

他にも監督やコーチ、通訳など、さまざまな役割を持ったスタッフが

競技者をバックアップしています。

コート上で戦うのは4選手ですが、控え選手やスタッフを含め、チーム全体で戦っています。

【コート】

“バスケットボールと同じ広さ”のコートで行われます。

[縦28m、横15mの長方形]

◦縦の2本ラインを「サイドライン」

◦横の2本ラインを「エンドライン」

◦両サイドラインの中央を結ぶラインを「センターライン」

とそれぞれ呼びます。

ゴール前の区域(8m×1.75m)は、「キーエリア」といいます。

▲キーエリアの中は

・守備中のチームは、3人までしか入ることができません

・攻撃中のチームは、10秒以上とどまることができません

【主なルール】

《10秒ルール》

ボールを持っている選手は、何度でも車いすをこいで進めることができますが、

10秒以内に1回ドリブルをするか、味方にパスをしなければなりません。

ドリブルをすると、また10秒間車いすをこぐことができます。

10秒を超えてボールを保持してしまうと、ボールの所有権が相手チームに移ります。

《スピニング・ファウル》

車いすでのタックルがルールで認められていますが、

後輪車軸の後方へのタックルによりバランスを失ったり転倒につながる危険な場合は、

反則になります。

《イリーガル・ユーズ・オブ・ザ・ハンズ・ファウルとホールディング・ファウル》

イリーガル・ユーズ・オブ・ザ・ハンズ・ファウルとは?

…⇒手や腕でボール以外の相手競技者に触れてしまうと、反則になります。

ホールディング・ファウルとは?

…⇒手や腕を使って相手競技者や、相手の車いすをおさえつける行為も反則になります。

【チームスポーツである車いすラグビー】

ゲームの裏では、障害の重い競技者が守備型車いすを巧みに操作し、

相手守備陣を“壁”となって抑えて、ゴールへの道を作る役割を担っています。

守備では、車いす前方から飛び出たバンバーを使って相手を引っかけてブロックします。

障害が重い競技者が軽い選手を封じ込めるプレーは、ビッグプレーとしてチームが盛り上がり、

士気を高めます。

車いすラグビーでは、障害の軽い競技者の目立つプレーだけではなく、

障害の重い競技者による身体を張った献身的なプレーも、重要な見どころなのです。

このたびのリオパラリンピック日本代表チームの中で、

中継映像を観ても明らかに器用に車いすを操り、日本の攻撃を牽引していた選手がいました。

その選手は・・・背番号7の池崎大輔 選手です。

現在38歳。競技者としては、ベテランの域に達しています。

しかし、そのキレと、時に魅せるパワー溢れるプレーからは、年齢を全く感じさせません。

池崎選手は、北海道函館市出身で、普段は北海道Big Dippersというチームに所属しています。

元々は車椅子バスケットボールをしていた池崎選手ですが、

病のせいで握力が弱くなってしまいます。

バスケットボールを思い通りに扱うのが難しくなっていったこともあり、

車いすラグビーをはじめたとのことです。

池崎選手の病は、シャルコー・マリー・トゥース病というもので、

遺伝性ニューロパチー(末梢神経の病気の総称)の一種で、

末梢神経が侵され、手足の神経がまひし、筋力が落ちていく病気です。

欧米に比べ、日本ではとても珍しい病気だそうです。

現在のところ、有効な治療法は確立されていない、いわゆる「不治の病」と呼ばれるものです。

しかし、そんな病にも負けず、30歳の時に始めたウィルチェアーラグビーでは、

ぐんぐんと頭角を現します。

2009年、北海道Big Dippersを日本選手権3位に導き、国内強化選手に選ばれます。

そして、2012年のロンドン五輪では、目標としていた銅メダルには届かず、

4位という悔しい結果に終わりましたが、

2015年アジア・オセアニア選手権で、見事優勝を果たし、ベストプレーヤー賞とMVPを獲得。

しかし、車いすラグビーを離れますと、池崎選手も2児の子煩悩なお父さんです。

「長女と長男に“東京パラリンピックの金メダル”を首にかけてあげること」 が夢だそうです。

そしてさらに、

『ハンデがあっても、物事を極めることはできるということを、

 金メダルや自身を通じて、多くの人に伝えていきたい』

という大きな目標があります。

不治の病と戦いながらも、自分の生きがいや目標に向かって努力を惜しまない姿は、

実のお子さまだけでなく、テレビを観ている多くの子どもたち、そして私たち大人にも、

“人間が前向きに生きていくことの大切さ”が伝わってきました。

Where there is a will, there is a way.

・・・意志あるところに道は開ける。

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