リオパラリンピック -競技紹介- “ボッチャ”

September 15, 2016

いつもホームページをご覧いただき、ありがとうございます!

 

 

さて、リオデジャネイロパラリンピックで、少し耳慣れない競技、

“ボッチャ”という競技で、日本チーム(混合団体)が“準優勝”を遂げたニュースが届きました。

 

日本代表は4-9で、最新の世界ランキング1位のタイに敗れ、

惜しくも銀メダルとなりましたが、2008年の北京大会で初出場して以来、

同競技でのメダル獲得は初の快挙!

 

そこでこのたび、ボッチャについて調べてみました。

【ボッチャとは?】

ボッチャ自体は、子どもから高齢者まで楽しめるレクリエーションスポーツで、

学校・スポーツクラブ・病院・老人ホーム等で幅広い年齢層で行われています。

障害者スポーツとしては、「重度脳性麻痺者の競技スポーツ」として

1988年パラリンピックソウル大会で公開競技となり、

パラリンピックバルセロナ大会から、正式種目として採用されています。

それまでは、重度の脳性麻痺者が参加できる競技スポーツは乏しかったのが現状でした。

しかし、ボッチャがパラリンピックの正式種目に採用されたことにより、

世界の大会へ出場できるという目標が生まれたことで、競技のすそ野が大きく広がりました。

 

【ボッチャの由来?】

ヨーロッパでは、ボッチャに似たスポーツが複数あります。

フランスではペタンクという名前で、

イギリスではローンボーリングという名前のスポーツがあります。

イタリアでは「ボッチ(ボッチェ)」という名前のスポーツがあります。

綴りは「bocci」です。

ボッチャの綴りは「boccia」ですから「a」を足した言葉です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ボッチ、ペタンク、ローンボーリングともに屋外で行っています。

それに対して、ボッチャは屋内スポーツです。

またボールもボッチャは、軽く小さくなっています。

ペタンクなどは、鉄球で重いので扱いにくいボールです。

屋外よりも比較的移動が容易な室内で、

革製(もしくは合成皮革)の軽く扱いやすいボールを使うことで、

多くの人々が競技をすることが可能になったスポーツ・・・それがボッチャです。

 

【日本とボッチャ】

日本に取り入れられたのは、レクリエーション的用途で、

養護学校教員であった古賀稔啓 氏(前日本ボッチャ協会理事長)が、

ヨーロッパでの脳性麻痺患者の国際大会出席時に、ボッチャに出合い、

授業に取り入れようと持ち帰ったのが最初といわれています。

その後、1997年に日本ボッチャ協会が設立され、

国際ルールを紹介、全国的に広まっていくこととなりました。

代表チームは、「火ノ玉JAPAN」の愛称で呼ばれています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【ボッチャのルール】

まず、赤・青の2チーム(1対1~3対3)に分かれ、最初に投げた目標球めがけて、

自分のボールを6球投げます。

そして、相手チームが投げたボールより目標球近くに、

できるだけたくさんのボールを投げることで得点を競います。

前述のペタンクやローンボールと似ていますが、

ボッチャのボールは、皮を手縫いで丸くしているので、完全な円球になっていないのが特徴です。

したがって、ボールを投げた時にまっすぐ転がらないところが、このスポーツの面白く、

また難しいところでもあります。

 

競技スポーツのボッチャの対象者は、4クラスに分けられます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

      

 

  出典:一般社団法人 日本ボッチャ協会

     

 

クラスによっては競技者は、ランプと呼ばれる、

“すべり台”のような形状の補助具を投球時に使用します。(*ランプというのは『傾斜』を意味します)

その際、競技中の選手の介助を行うサポーターと、二人一組で参加するのが特徴です。

ランプについては現在、日本ボッチャ協会で製品化され、販売されていますが、

大半の競技者は、障害の程度や自分の競技スタイルに合わせ、さらに改良を加えています。

 

競技の方法は、競技者が、身振りや顔、目の動きで指示を出し、

サポーターが正確にそれを読み取り、ランプの方向や高さを操作します。

正式の試合は、競技中、サポーターがコートを見ることは許されないことや、

制限時間内で、全てのボールを投げ終えなければならない等の厳しいルールに従って行われます。

 

反則をした場合、ペナルティーが与えられるため、競技者は自分の指示を正確に伝え、サポーターはそれを理解するといった、お互いのコミュニケーションの取り方も大切になってきます。

 

リオパラリンピックに戻ります。

 

12日のボッチャチーム戦(脳性まひ)決勝で、日本は世界ランク1位のタイと対戦し、

4-9で惜しくも敗れてしまいました。

それでも、日本ボッチャ界初のメダル「銀」を獲得し、

前回ロンドン大会の8強から大躍進を遂げました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

満面の笑みで銀メダルを受け取った、日本チームの主将の杉村英孝 選手は、

「重みを感じる。敗れはしたが、“積み上げてきたこと”はすべて出せた」

とコメントしました。

 

実は、日本を決勝の舞台に導いたのは、タブーを打ち破ったこれまでにない取り組みでした。

近年は力で球をはじく『パワーボッチャ』が主流となっていました。

そこで始めたのが、“ボチトレ”と呼ぶ筋力トレーニングでした。

脳性まひの選手に筋トレは「筋緊張」をもたらすとされ、それまでタブー視されてきたそうです。

ですが、「世界のパワーに対抗するには不可欠」ということで、日本チームはボチトレを導入。

練習や試合前にチューブを引っ張ったり、普段は電動車いすを使用する選手が、

手動の車いすを手でこいだりして筋力強化。

そうしているうち、

『筋トレが、筋緊張を必ずしも引き起こすわけではない』

という臨床結果も出てきたそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「力がつき、長い距離にも対応できるようになった」

ことも、今回の好結果につながりなりました。

 

 

そして、ボッチャには、チームの部だけではなく、個人の部もありました。

 

最後に、個人戦の日本代表の高橋和樹 選手(NPO法人・自立生活センターくれぱす)

ご紹介します。

高橋選手は、「BC3」というクラスでリオパラリンピックに出場。

ボッチャを始めたきっかけは、2013年9月、2020年の東京パラリンピック開催決定でした。

東京大会時は、40歳・・・。

自然に周囲と“健康の話”ばかりするようになるのは、嫌だったそうです。

無性にパラリンピックに出場したくなり、いろいろな情報を集めて、

「ボッチャならできる」と、目標を定めました。

2014年3月、埼玉県越谷市の越谷特別支援学校を拠点に活動し、BC3クラスを中心に

くの日本王者を出す「埼玉ボッチャクラブ」を訪ね、加入しました。

初めは、自分より障害が重い相手にも歯が立ちませんでした。

3カ月後、初の公式戦として臨んだ県内の大会では、

自分の子どものような年齢の女子競技者に敗れたそうです。

 

ただ、想いは揺るぎませんでした。

「強くなるには人の倍、練習して、考えるしかない」

そう考えた高橋選手は、NPO法人の仕事を調整して練習時間を確保し、

夜は海外のトップ選手の試合映像を観る生活に切り替えました。

1年後の昨年7月に埼玉県大会を制し、12月の日本選手権は初出場初優勝。

初の国際大会となった3月の北京での世界選手権は、

「BC3」クラスで日本人初のメダルとなる銀メダルを獲得。

世界トップレベルまで一気に駆け上がりました。

 

しかし、その高橋選手も2002年、大学を卒業した当初は、

(自立生活センターくれぱすを訪れた時の普段の生活は)、現在とは全く異なっていたそうです。

 

くれぱすの代表の上野さんご自身も、先天性の脊髄(せきずい)性進行性筋萎縮症で、

高橋選手と同じように24時間態勢の介助を受け電動車いすで生活しています。

その上野さんの高橋選手の第一印象は

「とげとげしかった」

そうです。

 

高橋選手は幼い頃から柔道を始め、中学時代は関東王者にもなった優秀なアスリートでした。

高校は強豪の東京・足立学園に進学。

幼稚園からの幼なじみで、1997年に高校総体の柔道軽量級で準優勝した、

中村裕次郎さん(埼玉県草加市)

「(高橋選手は)柔道で大学に行けるくらいの実力があった」

と語ります。

 

高校2年の夏、高橋選手は練習試合の団体戦で実力をかわれ、

軽量級ながら同点で迎えた大将戦に起用されました。

相手は重量級選手で、その際、投げられた時に首を骨折。

1年半の入院生活を余儀なくされました。

面会に来た中村さんには

「1年間で治す。一緒に高校総体でやろう」

と語ったそうです。

しかし・・・首から下の80%がまひする障害が残り、

柔道はもちろん、日常生活も困難な状況になります。

大学に進むも、自宅に引きこもりがちになりました。

気晴らしにと、家族が連れて行ってくれたのがパチンコ店。

元来、負けず嫌いの気質だったこともあり、パチンコに傾倒するようになります。

しかし、どうしても

「熱い気持ち」、「勝負する気持ち」、『負ける悔しさを味わえない生活』は、

満たされないものがあったそうです。

障害者になり約20年・・・

ボッチャに取り組む現在、高橋選手は柔道と同じくらい熱くなれるものを見つけました。

くれぱす代表の上野さんも

「そういえば(高橋選手は)パチンコ店に全然行っていない」

と話します。

 

「そんな暇があればボッチャのことを考えたい」

 

今年7月、さいたま市で高橋の講演会が開かれました。

障害者やその家族、くれぱすの近隣住民ら約100人が集まる中、

高橋選手は、宣言しました。

 

「『無理』『できない』と思っている人に対して、

 ロールモデルとなり、“行動すればできる”ことを証明したい」

 

☆高橋選手は『柔道⇒障害者⇒自立生活』というタイトルの動画を作られ、その動画は現在公開されています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高橋選手は、リオパラリンピックで、混合個人 BC3のクラスに出場。

 

予選リーグで、イギリス、ポルトガルの選手と試合を行い、

1勝1敗で惜しくも、準々決勝に進むことは叶いませんでしたが、

世界の強豪選手と堂々と渡り合う姿を、私たち日本人に見せてくれました。

 

 

ボッチャ競技のさらなる発展と、次のパラリンピックである東京大会に向けて、

競技者の方々のさらなる活躍を期待したいと思います!!

 

 

 

 

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